公開: 2019年10月16日
更新: 2019年10月18日
第1次世界大戦で、当時、開発されたばかりの飛行機を戦場で利用する試みがなされました。最初は、戦場の上空を飛んで、敵側戦力の展開についての情報を得るための偵察に利用されていました。しかし、すぐに飛行機に爆弾を積んで、地上に展開されている敵の軍隊を爆撃したり、敵の爆撃機や偵察機を攻撃するために機関銃を搭載した戦闘用の飛行機が開発されました。
第1次世界大戦で利用された飛行機は、主翼が2枚または3枚の飛行機で、速度も速くありませんでした。戦争の初期においては、ドイツ空軍の戦闘能力が高く、「赤い男爵」と呼ばれた撃墜王のリヒトホーフェンが有名でした。彼が搭乗していた飛行機が赤く塗装されていたことから、この名前が付けられたようです。しかし、リヒトホーフェン男爵も、第1次世界大戦後期になり、空中戦で撃墜されました。
この第1次世界大戦中に、アメリカから義勇兵として参加したパイロットの1人は、将来の戦争では、飛行機を単に戦闘の道具として利用するのではなく、敵国の上空に飛ばし、工場や鉄道施設などを爆撃することで、敵国の国力を衰えさせる戦略爆撃の手段として利用すべきであると考え、陸軍や海軍からは独立した空軍を創設すべきと強く提案しました。しかし、この提案は退けられました。
第2次世界大戦が始まった頃、米国軍も他国の軍隊と同じように、飛行機の運用を行うための部隊は、陸軍や海軍に所属していました。現在の米国空軍の基となった組織も、米国陸軍の航空隊(航空軍)として位置づけられていました。その司令官が、アーノルド将軍でした。彼は、航空軍は空軍として、陸軍からは独立な組織として、戦略爆撃を主たる任務とするべきであると言う思想の持ち主でした。